古来から瀬戸内海の潮目であることから「潮待ちの港」と呼ばれ、海運業により栄えた鞆の浦には、JR福山駅からバスで30分ほどで着きます。
その風光明媚な景観と、天然の良港として歩んできた史跡を辿れることから、観光地として人気があります。
また映画のロケ地としても知られます。
幕末には坂本龍馬ら海援隊が率いるいろは丸と紀州藩の船が衝突事故を起こし、龍馬が談判の末賠償金を勝ち取った「いろは丸事件」の舞台でもあります。
また鞆の浦は江戸時代に朝鮮通信使の宿泊地として使われ、「福禅寺対潮楼」はその文化交流の場でした。
そこからの景観を通信使の人々が絶賛したといいます。
鞆の浦のシンボルともいえるのが、「常夜灯」です。
高さは約10mあり、江戸時代に築かれた石造の常夜灯としては、国内最大級です。
鞆の浦には江戸時代の町並みが残されていますが、中でもしっかりと保存されている町屋建物が、「太田家住宅」です。
酒造により栄えた太田家住宅ですが、幕末に三条実美ら尊王攘夷派の公家が京都を追われ長州藩に逃げる際に、ここに立ち寄ったといわれています。
江戸時代に町奉行がおかれていた「鞆城跡」からは港町を一望でき、またここにある「歴史民俗資料館」では鞆の浦の歴史を学べます。
空海により建てられたといわれる「医王寺」からも、鞆の浦が一望できます。
すぐ向かい側に見えるのが仙酔島で、鞆の浦から船で5分で着きます。
ここには仙人が住んでいたという伝説があり、「仙人が酔うほどに美しい島」というのが名前の由来だといわれています。
ここには浦島太郎が亀を助けたとされる砂浜まで残っています。
そんな伝説まで残っている島です。
仙酔島はその名前がつくのも納得できるほどに自然がきれいに残されています。
海岸沿いに歩いたり山を登って展望台に登ると、その自然美を感じられます。
かつて織田信長に京を追われた室町幕府最後の将軍足利義昭はこの地を拠点としましたが、彼もここからの景色を楽しんでいたといいます。
海岸沿いの遊歩道を歩いていると、日本で仙酔島でしか見れないという「五色岩」の前を通ります。
その名の通り、青(緑)・赤・黄・白・黒(紫)と5色の地層が200m以上に渡って続いています。
島内にある「龍神橋」はそこを通ると、龍の背中に乗れるといわれている場所です。
このように豊かな自然と伝説が融合して人々に受け継がれてきた島です。