岡山と広島の県境に位置する井原市は、戦国大名北条早雲の出身地といわれています。
そもそも早雲自身は北条を名乗ってはおらず、北条を名乗り始めたのは彼の息子氏綱の代からです。
早雲は本名を伊勢新九郎盛時といい、この地の名門伊勢氏の出身でした。
一介の浪人から大名まで上り詰めた下剋上の代表として語られてきた彼ですが、近年の研究でもともと名門の出身であったことが明らかになっています。
33歳までをこの地で過ごし、その後京都で足利将軍家、駿河(静岡県)で今川家に仕え、やがて自らが大名となり関東に覇を唱えました。
井原では、あまり知られていない若い頃の早雲の足跡を辿ることができます。
井原鉄道の早雲の里荏原駅で降りると、彼ゆかりの地を回ることができます。
駅前には、老将となってからの彼の像が置かれています。
法泉寺は早雲が幼少期に学問を修めた場所で、境内には彼と父の盛定の墓が並んでいます。
その近くには、伊勢氏の家臣が早雲の二百回忌に岩に刻んだという「大岩刻早雲供養碑」があります。
高越城跡は伊勢氏の居城であり早雲の生まれた城でもあります。
山上まで少し上がると、のどかな井原の景色とともに早雲生誕の地の石碑を見ることができます。
「新九郎薬師」には、早雲が井原に一時戻った際に祀ったと伝わる木像の薬師如来像が残されています。
北条早雲は謎の多い人物であり、井原の伊勢氏の出身であることも最近の研究で明らかになりました。
特に歴史の表舞台に立っていなかった前半生は分かっていないことが多く、井原での日々がどのようなものであったのかはあまり分かっていません。
とはいえこの地を歩くと、早雲がたしかにここで暮らして成長した証となるものにいくつか巡り会えました。
そこから山の方に北上していくと、「中世夢が原」があります。
ここでは鎌倉から室町時代にかけてのこの辺りの村の様子が歴史考証に基づいて再現されています。
多くのドラマや映画で撮影地として使われてきたそうです。
ここでは当時の農民、商人、武士の暮らしの跡がまるで本物が残っているかのように再現されています。
本当にこの時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。
視覚的に歴史を学ぶのであれば、ここほどいい場所はありません。