【石川県 小松 能美】 那谷寺 勧進帳 ハニベ巌窟院 九谷陶芸村 ゆのくにの森

石川県というとやはり歴史ある街として一番に金沢が思い浮かぶでしょうが、それ以外の街にも歴史、文化、産業が宝庫のように詰まっています。

 

小松市の那谷寺は717年に泰澄により建てられ、その後火災にあい衰退しますが、1640年前田利常によって再建、保護されました。


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参道には杉の木が並べられており、境内には利常時代の庭園も残っています。

その庭園の奥には、「奇岩遊仙境」とよばれる、まるで生命を宿しているかのような奇妙な形の巨大な岩がそびえ立っています。

霊峰白山を拝する那谷寺では、人工的ではない自然のものをそのまま配置して美を表現しました。


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かの松尾芭蕉奥の細道において、ここを「奇石さまざまに古松植ならべて、萱ぶきの小堂岩の上に造り、かけて殊勝の地なり」と表現しています。


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この那谷寺から少し南の方に下ると、「西山石切り場跡」があります。

この辺りでとれる石は良質で、小松の重要な産業の一つとなっています。

立入禁止なので遠くから眺めるだけですが、大きな採石場があったことが分かります。


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勧進帳の物語といえば歴史好き、あるいは歌舞伎好きの方ならご存知かもしれません。

 

兄の頼朝から逃れていた源義経と家臣弁慶は、安宅の関を山伏の姿に扮して通ろうとしていました。

しかし関守の富樫左衛門は怪しみ、弁慶に持っている勧進帳を読み上げるように命じます。

弁慶は機転を利かせて白紙の勧進帳を見ながら、見事に中身を読み上げます。

さらに義経に激怒して殴打することで、富樫の怪しみを解こうとしました。

富樫はそれが義経であることに勘づきながらも、弁慶の忠誠心に感心して関所を通ることを許したといわれています。

 

その安宅の関の跡が、小松市内に残っています。

海沿いの安宅住吉神社より奥に、弁慶、義経、富樫の3人の像、さらには「勧進帳ものがたり館」という博物館もあります。

 

そこでは映像や解説を見て勧進帳の物語、さらには歌舞伎での演じられ方などを学ぶことができます。

人々に愛され受け継がれてきた物語だということがよく分かりました。


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小松市内の非常にユニークな観光地が、「ハニベ巌窟院」です。

もともと石切り場で余ったスペースに、仏像や鬼などが配置され、足を踏み入れると地獄に落ちたかのような感覚になるスポットです。

暗い洞窟内で大量の鬼が待ち構えているのはなんだか恐ろしいですが、それ以上に歩いている空間のユニークさ、面白さが勝りました。


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石川は、九谷焼をはじめとした伝統工芸が栄えてきた地域です。

九谷焼は江戸時代に前田家の保護のもとで作り始められました。

 

能美市小松市の境目にある「九谷陶芸村」では、美術館で九谷焼の展示を見れたり、店舗で九谷焼のお土産を買えたりします。

飾られている九谷焼に描かれている模様、絵はどれも力強く多彩です。

九谷焼が単なる生活の道具としてではなく、芸術作品にまで昇華されていることが分かります。


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さらに石川の伝統工芸を体感できるのが、「加賀伝統工芸村 ゆのくにの森」です。

九谷焼だけでなく、輪島塗、加賀友禅、山中漆器、金箔などの伝統工芸品がそれぞれの建物ごとに販売されており、また伝統工芸体験もできるようになっています。

建物も現代風ではない古民家が立ち並んでおり、江戸時代さながらの雰囲気です。


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北陸地方で伝統工芸が栄えたのは、雪による農閑期にものを売るためにその必要があったためといわれています。

それだけでなく加賀百万石といわれるほどの繁栄を築いた前田家が、文化やものづくりの発展に力を注ぐだけの余裕があったということも大きな理由の1つです。

いずれにせよそれらのものが現代でも人の心を捉えて使われ続けているというのは、産業、文化の理想的な姿といえます。