岩国といえば、そのシンボルといえるのが錦帯橋です。
この錦帯橋の建設をリードしたのは、吉川広嘉という人物です。
もともとこの地域は、毛利家の家臣である吉川家によって治められていました。
その吉川家にとっての悲願が、錦川に橋を架けることでした。
当時錦川は急流となりやすい形状と、川幅の広さのために渡船が難しい状態にありました。
しかし城下町は川で二分されているため、対岸同士を繋げるのは急務でした。
2代目藩主広正の代から橋の建設が始まりましたが、橋は完成しても何度も洪水で流されてしまいました。
そこで吉川広嘉は家臣や技術者とともに、流れない橋の研究を始めます。
そしてその後も何度も建設、改良を繰り返して1674年には、1950年の台風まで流されなかった立派な橋が完成しました。
広嘉は200メートルの川幅がある錦川を、1つのアーチでまたぐのは困難だということに気づき、いくつかの頑強な橋脚を土台として作るようにしました。
しかしその橋脚も一度では上手くいかず、様々な試行錯誤が加えられ、そして完成したのが錦帯橋です。
1950年に流された後も、岩国市は歴史あるこの橋を原型に忠実なかたちで再現しようと動きますが、建設省(現国土交通省)はコンクリートの現代型を提案します。
しかし岩国市の交渉により、橋脚の基礎を石からコンクリートに変えるなどの改良だけで吉川家時代のものに似せたものが再建されました。
岩国の人々にとって、吉川広嘉たちによる血と汗の結晶である錦帯橋は、地元のアイデンティティたる存在だったといえます。
その吉川家の居城だったのが岩国城です。
錦帯橋のすぐ近くのロープウェイに乗れば着きます。
初代岩国藩主吉川広家によって建てられ、錦川を天然の堀としていましたが、一国一城令により築城後七年で取り壊されました。
岩国市玖珂町には、「いろり山賊」という有名な山賊焼きの店があります。
ちなみに行ってはないですが、同じ系列のものが錦町にもあるそうです。
電車で行くこともできますが、山を登らないといけないため車で来る人が多いようです。
広島市からも車で1時間ほどで着く距離にあるので、山口、広島県民にとってはかなり馴染みのスポットとなっています。
山を登ると突然現れるその古風な外観と、豪快な食べ方ができるメニューがその魅力です。
人気メニューは山賊焼きと山賊むすびです。
僕はそれに鮎の塩焼きをつけました。
これを豪快にかぶりつくのは至極の贅沢でした。