【埼玉県 深谷】 渋沢栄一

新一万円札の顔に選ばれ、大河ドラマでも話題となった渋沢栄一の出身地は、現在の埼玉県深谷市の血洗島です。

 

彼は後に日本に資本主義を起こし、500の会社設立と600の公共事業に携わりました。

また晩年は民間外交を展開し、日中、日米関係の改善に努めてノーベル平和賞の候補にもなっています。

 

渋沢は商人が馬鹿にされその地位が低い時代にあって、その地位を向上させました。

それとともに商売はお金儲けのためだけでなく、社会や他人のために行われなければならないという「道徳経済合一説」を唱えました。

 

彼の故郷である深谷を歩くと、後の彼の活躍や思想の萌芽となったものが感じられます。

 

僕が別のブログで渋沢栄一について書いたものがあるので、それとセットで読んでいただけたら嬉しいです。

 

https://dtred.hatenablog.com/entry/2024/01/28/021800

 

https://dtred.hatenablog.com/entry/2024/01/28/022616


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青年時代の栄一が教養を身につけられたのは、従兄であり師でもあった尾高惇忠の教育のおかげでした。

尾高の教育により栄一は日本の変革への意識を持ち始めました。

やがて尾高や栄一らは横浜の外国人居留地の焼き討ちを計画しますが、仲間の反対により未遂に終わります。

 

その焼き討ち計画が話し合われた場所でもある尾高惇忠の生家は、JR深谷駅からだとタクシーで15分くらいの場所にあります。


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その近くにある鹿島神社には、尾高惇忠を顕彰する碑もあります。

 

栄一が91歳で亡くなるまで、どんな事業でもあくまで他人や社会のためということにこだわったのは、根底に尾高から受けた教育があったと思われます。

とはいえ当時は居留地の焼き討ちという乱暴かつ無計画な手段で国家を変革しようとしましたが、そのようなやり方を反省するきっかけとなったのも、この時の失敗が大きかったことでしょう。


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栄一の生家跡及び記念館がある「青淵公園」に行くには、そこからさらに北に向かいます。

青淵とは栄一の雅号で、生家の裏側にある池にちなんで尾高惇忠がつけたものです。


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栄一の生家は藍玉の販売で生計を立てており、農家であるとともに商売も行っていました。

栄一自身も信州までその販売に出かけて経験を積み、後に発揮する商人としての才能をここで培いました。

 

後に彼は幕府の命でフランスに渡りそこで学んだ資本主義の仕組みを日本に根付かせますが、フランスでそれをすんなり理解できたのも、生家で得た商売の知識と経験があったからだと思われます。


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渋沢栄一記念館」では彼ゆかりの展示とともに、彼が生涯で成し遂げたことの数々を学ぶことができます。

成し遂げだことを1つずつ列挙していくときりがありませんが、91歳まで生きたとはいえ、1人の人間がここまでさまざまなことを成し遂げられるのかと驚嘆せざるを得ません。

 

明治維新に最も貢献したのは誰かというのはあまりにも難しい質問ですが、明治維新といっても旧体制の破壊の段階と新体制の創設の段階に分かれます。

その後者の方に限っていうならば、渋沢栄一こそそうだといってもいいかもしれません。

 

記念館には渋沢栄一がアンドロイドになって「道徳経済合一説」について説明してくれるユニークな内容もあります。

予約制だったと思いますが、これもおすすめです。


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青淵公園の近くには、栄一とゆかりの深い諏訪神社があります。


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深谷駅に向かって戻る途中に、栄一の喜寿を祝って建てられた「誠之堂」と「清風亭」に寄りました。

洋風の立派な建物です。


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人間は誰しも少なからず故郷の影響を受けて育ちますが、それは渋沢栄一にも同じことがいえます。

彼がこの地での学びを発展させた「道徳経済合一説」は、経済と社会の発展が両立しなくなってきた現代だからこそ注目されています。

人のためという理想を掲げながらも、お金を儲けるという現実も無視していない彼の思想は、これからの羅針盤としていくべきものではないでしょうか。