小田原を訪れたのは二人の人物の足跡をたどりたかったためです。
戦国大名北条早雲と、薪を背負った像で知られる二宮金次郎です。
北条早雲はもともと小田原の出身ではありませんが、駿河(静岡県)の今川家の下で力をつけ、やがて勢力を広げて小田原城を手中に収めます。
そこから豊臣秀吉によって攻め落とされるまで、北条氏5代にわたって小田原城は北条氏の拠点となりました。
早雲の評価されるべき点は、年貢を低くして農民の負担を減らす政治をしたことです。
当時は守護といわれた地方の実力者が好き勝手に政治を行っていましたが、彼はその慣習を打ち破り新しい時代を築いたのです。
早雲のその政治は北条五代にわたって引き継がれ、そのため北条氏は領民から慕われた大名でした。
そんな小田原の英雄北条早雲は、小田原駅の前で像になっています。
小田原城は今は博物館となっており、当時の北条氏による政治や秀吉に攻め滅ぼされるに至る経緯などが分かりやすく解説されてあります。
また二宮金次郎は小田原出身の人物で、江戸中期から末期にかけて各地方の農村の復興に携わりました。
そんな彼が最初に手掛けたのが自分の家の再興で、その後小田原藩の家老の家の立て直しを遂げました。
いわば小田原でその手腕を学び、その成果が評価されたことが後の業績へとつながったのです。
小田原城跡公園の中に金次郎を祀った「報徳二宮神社」と「報徳博物館」があります。
しかし彼についてより知りたいのであれば、小田急線の柏山にある彼の生家跡兼博物館に訪れるのが最適です。
ここでは彼の生涯を解説したビデオや、彼が実際に使用した農作業の道具などが見られます。
また彼の生家が忠実に再現されています。
ここでは職員の方が丁寧に金次郎について教えてくださりました。
その方が言うには、金次郎の家は彼が生まれた時から貧しかったわけではなく、その時はまだ裕福だったそうです。
しかし彼が幼少の時に川の氾濫が起き、そこから貧しい生活が始まったとのことです。
つまり彼は裕福な状態も貧しい状態もどちらも知っており、だからこそどうすれば生活を良くなるかを考えることができたのではないかとのことでした。