「春や昔 十五万石の 城下かな」というのは、松山出身の正岡子規が松山の街を詠んだ俳句です。
松山藩は徳川方として新政府軍と戦いますが、やがて降伏して城を明け渡し、敗軍として明治維新を迎えました。
松山城の天守閣は現存12天守の1つであり、そんな歴史を今に残しています。
途中で初代藩主の加藤嘉明の像などがあり、それらを抜けてかなり歩かないと天守閣までたどり着けません。
正岡子規の親友であった夏目漱石も松山で教師として働いていた期間があり、その時の経験をもとに描いたのが小説「坊っちゃん」です。
松山市ではそれにちなんだ「坊ちゃん列車」が走っていて、路面電車としての役割を果たしています。
ちなみに市内には、漱石の下宿の跡も残されています。
松山といえば道後温泉を思い浮かべるかと思いますが、道後温泉は「坊っちゃん列車」とともに松山のノスタルジックな景観を彩っています。
道後温泉は日本最古の温泉ともいわれていて、ジブリ映画の「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルの1つでもあるそうです。
中には漱石ゆかりの部屋もあります。
「坊っちゃん」とともに松山が舞台の小説として知られるのが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」です。
この小説の主人公は正岡子規、秋山好古、秋山真之の3人で、3人とも松山出身です。
「坂の上の雲ミュージアム」という場所もあるのですが、僕が行った時は残念ながら閉まっていました。
秋山好古、真之兄弟はそれぞれ日露戦争において陸軍、海軍で日本の勝利に貢献しました。
好古は日本の騎兵隊を育てあげ、ロシアのコサック騎兵を打ち破るという快挙を遂げました。
真之は日本海海戦における作戦を立て、世界最強といわれたバルチック艦隊に完膚なきまでに勝利しました。
詳しくは「坂の上の雲」を読んでいただけたらと思います。
そんな秋山兄弟の生家が今も残されています。
中では係の方が丁寧に案内、解説してくれます。
ここで目を引くのが、好古の「一以貫之」の文字が書かれた額縁です。
「男子は生涯一事をなせば足る」というのが好古の口癖だったらしく、彼の生涯はまさに日本の騎兵隊を育て上げるという一事にあったといえます。
人生はたった1つの自分の使命のためだけに生きればそれで十分だという単純明快な生き方には惹かれずにいられません。
弟の真之は戦場で活躍しただけでなく、海軍の学校で講壇にも立っており、その時に海軍の戦法をまとめて後の世代に伝える役割も果たしました。
案内の方が言うには、バルチック艦隊を破ったことよりも、むしろそれこそ真之最大の功績というべきだとのことです。
敗軍側として明治を迎えた松山ですが、そこから文学、軍事の分野でその後の日本をリードする人物が巣立っていきました。
そこには敗けた側について時代の潮流に乗れなかったというコンプレックスがあったのかもしれず、その反動がこういった人々を育んだのかもしれません。