【長崎県 長崎】 長崎原爆資料館 亀山社中記念館

1945年8月9日に長崎に落とされた原子爆弾ですが、その落下中心地は今は平和公園になっています。

JRの最寄り駅は浦上駅ですが、長崎市には路面電車も通っているので、それを使って行くこともできます。

 

そこでは残された被爆当時の地層を見学できたり、さまざまな記念碑が置かれています。

特に有名な平和祈念像は、長崎市民の運動により原爆10周年記念日に建立されたものです。

 

この公園内にある長崎原爆資料館では、原爆の恐怖と被害を視覚的に学べるようになっています。

 

原爆に限らず戦争によりもたらされる苦しみというものは、それを経験した人間にしか理解できません。

事実を知ったり、映像を見たりしても当事者と同じ状況を追体験するには限界があります。

しかしそれでも、その時の映像や証言を後世に伝えるということを諦めると、いつまでも人間は同じ過ちを繰り返してしまいます。

だからこそここで見られるものはすべて、今後残し続けなければなりません。


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路面電車を使って次に向かったのが、坂本龍馬がこの地で作った日本初の株式会社といわれる亀山社中の跡です。

 

道中に日本初の撮影局跡が残されていました。

坂本龍馬高杉晋作もここで写真を撮ったそうです。


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亀山社中の跡は記念館になっていて、関連する展示がされています。

そのすぐ前にあるのが、龍馬のぶーつ像です。

新しいもの好きの龍馬は日本で初めてブーツを履いたといわれており、ここには足をいれることもできます。


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当初龍馬は、勝海舟の海軍操練所で航海術などを学んできましたが、そこが幕府の命により閉鎖となります。

行き先をなくした龍馬は、仲間とともに商社兼私設海軍である亀山社中を築きます。

そして武器や物資の運搬を行い、さらに長州藩と幕府の戦争では長州側として参戦しました。

 

亀山社中の一番の功績は、薩長同盟の成立に貢献したことです。

当時犬猿の仲であった薩摩と長州ですが、薩摩から長州に武器を、長州から薩摩に米を提供することで関係を深めて同盟を結ぶに至ります。

それを提案し、実際に武器と米を運搬したのが龍馬率いる亀山社中でした。


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やがて亀山社中海援隊と名を変え、諸藩から独立した活動を行い続けました。

龍馬ゆかりの地といえば他にも高知、京都などがありますが、船を操って日本を変えていった彼にとって、長崎には自分の夢を叶える拠点としての特別な想いがあったことでしょう。