近鉄飛鳥駅を降りて高松塚古墳まで歩いていると、心の安らぐような田園風景が目に留まります。
高松塚古墳は7世紀末から8世紀初めに造られたといわれており、壁画古墳として知られています。
すぐ近くに文武天皇陵もあります。
さらに南の方まで歩くと、もう一つの壁画古墳であるキトラ古墳があります。
隣接する「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」では、入館無料で壁画の現物を見ることもできます。
飛鳥時代はまだ謎が多い時代ではありますが、当時から高度な思想、芸術が存在したということが分かる歴史的遺産です。
近くには、キトラ古墳の石材をどこから切り出したかという解説もありました。
場所を変えて高松塚古墳よりさらに北の方へ行くと、天武天皇・持統天皇夫妻の古墳があります。
ともに律令国家の整備を推し進めた人物です。
またその近くには、聖徳太子の生誕地もありました。
古代日本の礎を築いた人物たちのゆかりの地が、明日香村には所狭しと詰まっています。
少し東へ行くと、蘇我馬子の墓だといわれている石舞台古墳があります。
30もの巨石を積み上げて造られた巨大な古墳です。
巨石が覆っている地下の部分まで入ることができます。
少し北へ進むと、皇極天皇が政治を行ったとされる「伝飛鳥板蓋宮跡」があります。
中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した「乙巳の変」が起きた、歴史的舞台でもある場所です。
最後に向かったのは、さらに北にある飛鳥寺です。
飛鳥寺は蘇我馬子が建てた寺で、日本最古の仏像が見られることでも知られます。
権力を私物化した悪者とされてきた蘇我氏ですが、近年では仏教をはじめ大陸の文化を取り入れた先進的な一族だったという評価に変わってきています。
蘇我氏を悪者に描いた日本書紀を書いたのは、中臣鎌足の一族である藤原氏であり、その点を考慮するべきかもしれません。
いずれにせよ古代史はまだ謎の部分が多く、はっきりしたことは分からないという事柄ばかりです。
しかしそこにこそ歴史のロマンがあるといえます。
かつての都であった明日香村には古代史の足跡が数え切れないほど残されています。
歴史のロマンを味わうには、うってつけの場所かもしれません。