【滋賀県 彦根 多賀町】 彦根城 佐和山城 河内の風穴 多賀大社

彦根城跡は、JR彦根駅から徒歩で行ける範囲にあります。

ただし中の敷地は広く、小高い山の上にあることから石垣やいくつかの櫓を横目に歩いて行かないと天守閣にはたどり着けません。

 

それらの櫓の中には重要文化財のものもあり、天守閣も国宝に指定されています。

彦根城天守閣は現存12天守の1つであり、また他の櫓や屋敷、堀なども当時の姿をとどめており、ここまで保存状態が良好な城は全国的に見ても珍しいそうです。

 

彦根城1622年に徳川方の有力大名の1つであった井伊氏によって築かれ、以降明治維新まで城主は井伊氏が務めました。

建築が着工されたのは1604年で、当時豊臣氏を牽制する必要のあった徳川家康による命令でした。

そのため幕府の威光を示すための美的要素と、高い軍事的要素を併せ持つ名城ができあがったのです。

 

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徳川時代以前にこの地を治める拠点となっていたのが佐和山城であり、石田三成が城主となった際は5層の天守閣が築かれましたが、今はあとも形もありません。

関ヶ原の戦い後、彦根城を拠点としようとした井伊家や家康の意図により、その機能は失われて城も破壊されてしまったのです。

 

しかし天守があった頃は、「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」といわれたほど、その城としての価値は高く評価されていました。

島の左近とは三成の軍師ですが、彼と佐和山城だけは、三成が持つにはもったいないといわれていたのです。

 

佐和山城彦根駅から徒歩圏内にあり、佐和山の麓から30分ほど歩けば、本丸のあった山頂にたどり着けます。

今となっては、そこに残るのは「佐和山城跡」の石碑のみで、当時の権勢を偲ぶには難しいかもしれません。


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当時の姿をきれいに残している彦根城と、その築城が理由で当時の姿をとどめられなかった佐和山城が、同じ彦根駅の徒歩圏内にあるのは、どこか歴史の非情な運命を感じます。

 

彦根を離れて少し東へ進むと、犬上郡多賀町という地域があります。

ここに「河内の風穴」といわれる洞窟があります。

街の中心からはかなり離れていますので、車で行くことをおすすめします。

 

鍾乳洞の観光地は日本にいくつもありますが、ここはいい意味で観光地化されていないところが魅力的でした。

人が通りやすいようにという人為的な部分があまりなく、自然のまま残されているため旅行というより冒険をしている気分になれます。

 

まず洞窟へ向かうまでの道から、山奥に迷い込んだかのような風景です。

 

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洞窟の入口は高さ1メートルくらいしかありません。

なのでしゃがみながら気を付けてなんとか中へ入ります。


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中へ入れば、広くて冷気の漂う空間となっています。

奥の方に狭くて小さい階段が1つあって、それを登るとまた違う空間に行くことができます。

ただこの階段は一方通行ですし、気をつけて足を踏み外さないようにしないといけません。


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多賀町といえば多賀大社が有名で、古来から「お多賀さん」の名称で親しまれ、全国から信仰を集めています。

祀っているのは、日本の国土を生んだといわれるいざなぎといざなみです。

豊臣秀吉も、ここに米一万石を事納して母親の病気平癒を祈ったといわれています。


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